カンボジアの負の歴史「トゥールスレン虐殺犯罪博物館」「キリング・フィールド」へ

東南アジア

2018年冬の東南アジア旅行15、16日目に訪れたカンボジアの負の遺産について書きます。

※残酷で衝撃的な記述がありますのでご注意ください。

前回:【プノンペン観光】ワットプノン、プノンペン国立博物館、王宮など【18年冬旅15日目】

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トゥールスレン虐殺犯罪博物館

ここは街の中心部からすこしだけ離れたところにあります。(今までのところは街の中心部なので回りやすい)

虐殺犯罪博物館という名前から分かるように、気楽に訪れることのできる観光地ではありません。衝撃的な展示もあるので覚悟して行ったほうがいいでしょう(写真は載せません)。

本当は行きたくなかったのだけど、トゥクトゥクドライバーに強く勧められたので行ってみました。

入場料5ドルと、日本語音声ガイド(ヘッドホン)3ドルで計8ドル払いました。

音声ガイドのお陰で詳しい事情が分かりました。借りてなかったら展示を見ても理解できない部分があったと思います。かなり情報量が多いです。

この場所は元は高校だったのですが、ポル・ポト派によって収容所として利用され、罪のない人々に対して残虐な拷問が行われました。

収容所では人を痛めつける事自体が目的化されていたようで恐ろしいです。収容所送りにされた人々が殺害されることは決まっていたのに、ありもしない罪を自白させるために拷問を行っていたといいます。

もうわけが分かりません。狂気です。ポル・ポトは狂っていたとしか思えません。ポル・ポト派はカルト以外の何物でもない。

「収容所の看守は新しい犠牲者が運び込まれるのを喜んでいた」という証言もあり戦慄しました。人の心に隠された悪魔的性質を見せつけられた感じです。

「スタンフォード監獄実験」や「アイヒマン実験」のことを思い出しました。異常な体制に組み込まれた人々は良心を失って残虐行為に走ってしまうのでしょうか。

 

拷問部屋や当時の写真を見ましたが、あまりにも現実離れしていて頭の理解が追いつかない感じ。想像を絶するような残虐行為が理解不能な目的で行われていました。

ポル・ポト派のことがますます分からなくなりました。とにかくまともな神経をしていないなと。どこをどう間違ったら自国民を虐待、虐殺しようと思うのか。

指導者によって国民の運命が大きく左右されるんですね。

お隣のベトナムにはホーチミンという立派な指導者がいたから良かったけど、ポル・ポトのような異常な人間が指導者になったカンボジアでは、国民は悲劇に見舞われました。

当時のカンボジアの人々が本当に気の毒です。色々考えさせられたし、重い気分になりましたね。

その後、博物館を出て宿に帰ろうとしたのですが、乗ってきたトゥクトゥクが見つかりません。

ウロウロ探していると、ごっつくて怖い顔したドライバーに乗ってかないかとしつこく付きまとわれました。怖かったですね。

なんとか元のドライバーを見つけて宿に戻りました。

キリング・フィールド

前日のトゥールスレン虐殺犯罪博物館に続き、ポル・ポト時代の負の遺産であるキリングフィールドを訪れました。

トゥクトゥクで独立記念塔近くの宿から30~40分で到着。片道9ドル。他の方のブログを見た感じだともっと値切れると思います。

プノンペンのトゥクトゥクからの風景

混雑したプノンペン中心部から抜け出して郊外を走ります。途中狭い道に入り、鉄板が敷かれた仮設のような橋を渡ります。

田園地帯をしばらく進むと慰霊塔が見えます。

プノンペンのキリングフィールドの駐車場

今ではのどかな田舎にある綺麗な公園です。ニワトリさんとヒヨコさんがいて穏やかな雰囲気。

しかしながら当時は悲惨な殺戮の現場でした。

ギャップが大きいです。何も知らずに訪れたら静かな公園だと勘違いしてしまうかもしれません。しかし、いまだに土から犠牲者の骨や服が出てくるらしい。

オーディオガイドを借りました。日本語もあります。ここも解説音声がないと理解が深まらないと思います。ただ歩いて回るだけではよく分かりません。

ポル・ポトは教育を受けていない田舎の10代の人たちを兵士にしたらしい。

知識や経験が少ない分、洗脳しやすかったのでしょう。カルトのやり方です。

そして知識人や僧侶を手始めに、意味不明な理由で何の罪もない人たちを殺させました。

銃弾を買う金がなかったから、鈍器や斧などを使って殺害していたようです。あまりにもむごい。

犠牲者の断末魔の叫びをかき消すため革命の音楽が流されていたそうです。

処刑場にはディーゼル発電機が設置されていて、音楽と発電機の音を合わせた、「犠牲者が最期に聴いたであろう音」の再現もありました。生々しく、身の毛もよだつ思いです。

物のように叩き殺された人々はさぞ無念だったことでしょう。

慰霊塔内のおびただしい数の頭蓋骨。割れていたり陥没していたり。どんな器具を使い殺されたのか表示されていました。年齢や性別も。なんでこんな酷い目に。

なぜ自国民の大量虐殺という無意味かつ非人道的なことを行おうと思ったのでしょうか。どう考えても理にかなっていないし、感覚的にもおかしい。

道徳心のようなものがなかったのでしょうか。人を苦しめることに抵抗が無いのか?

原始共産主義という理想もよく分かりませんが、そのために自国民を虐殺しようという思考回路が全く理解できません。

頭がおかしいとしか思えない。ポル・ポト率いるクメール・ルージュはカルト的です。

サリンを撒いたオウム真理教信者のように、殺人を「救済」とでも思っていたのでしょうか。ポル・ポトにとって革命とは人を苦しめ命を奪うことなのか。

いろんなことを考えさせられました。将来、人命を軽視する狂信的な政治勢力が台頭しないよう自分たちには何ができるのでしょう。

 

次回:プノンペンからシェムリアップへバス移動【18年冬旅17日目】

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