この記事は2023年春の旅行記part4です。
路面電車で出島に移動し復元された街並みを見学。宿に戻って夕方まで休んだ後、夜間開園が実施されているグラバー園に行き夜景を見ました。
出島へ
風頭山を下りて、市役所電停から路面電車の5系統「石橋」行きで浜町アーケードへ。
昼食を済ませ、浜町アーケードより再び5系統「石橋」行きに乗車、新地中華街で1系統「赤迫」行きに乗り換えて出島で降ります。
乗り換えが面倒なら新地中華街から歩くことも可能。
なお、長崎駅からアクセスする場合は1系統「崇福寺」行きで乗り換え不要です。
出島電停のすぐ近くに門(水門)がありますが、訪問時は閉鎖されており入れませんでした。
出島の公式サイトによれば2021年1月頃から当面の間、出入口が表門橋入口1か所になっているようです。
・外部リンク:出島の出入口|【公式】出島〜dejima〜
一度川の北側に回り、表門橋を渡って入りましょう。
出島はかつて扇形の島(人工島)でしたが、明治以降の埋め立てによって陸地に取り込まれています。
また、中島川の変流工事の際、出島北側の陸地が約18m削り取られました。
出島だったエリアには住宅や商店が立ち並び、江戸期の面影はほぼ失われていたそうです。
第二次世界大戦終結後、長崎市は出島の復元計画に着手。出島の土地の公有化を進め、1996年度から本格的な復元整備事業が始まりました。
筆者は出島が陸地に取り込まれた話は知っていたものの、復元整備事業のことは知らず、資料館みたいな建物があるだけかなと思っていました。
しかし、実際に行ってみると、復元された当時の建物が立ち並んでいたので感激! これはすごいぞ!
2023年現在、鎖国期の建物16棟と幕末の石倉2棟が復元されています。また、明治期に建てられた洋風の建物2棟も見られます。
将来的には、川の流れを変えたり国道を移動したりして19世紀初めの扇形の出島を復元する計画があるらしい。
復元された史跡は全国にあるけど、ここまで大規模かつ忠実に復元されている所は珍しいと思います。
当時の資料や出土品を調査しできるだけ当時の姿に近づけつつ、地震や台風に耐えられるよう、見えない部分に現代的工法を取り入れているそうです。
また、建物の外側だけでなく内側もしっかり復元されています。当時の使われ方が分かるような再現展示を行ったり、博物館のような展示スペースとして効果的に活用されていました。
棹銅が保管されている銅蔵(↓)
日本側の町役人が使っていた「乙名(おとな)部屋」の内部は純和風(↓)
いっぽう、オランダ船船長や商館員が使用していた「一番船船頭部屋」には、洋風の家具が置かれているのが面白い(↓)
畳に酒瓶が並んでいて生活感があります。
出島の建物の外観で印象的なのは緑色(よもぎ色)のペンキ。
下の写真の「ヘトル部屋」は、ほぼ日本風の建物ですが、屋根にくっついている物見台の部分がオランダ由来のペンキで塗られています。日本で初めてペンキが使われたのは出島だと考えられているようです。
出島観光のメインとも言える「カピタン部屋」も緑のペンキで塗られています。
「カピタン部屋」は少々特殊な構造になっています。外階段からダイレクトに2階に入るスタイル。1階は倉庫で、2階がカピタン(キャプテン=商館長)の事務所兼住宅です。
ベースは日本建築ですが、窓にガラスが使われていたりベランダがあったり、和洋折衷の不思議な建物です。
建物の内部も興味深い。床は畳だけど上から西洋風のランプが吊り下がっています。
模様がズラッと規則的に並んだ壁紙も独特。
色々な柄が使われています。
緑の欄干は西洋風のデザイン。
大広間では「阿蘭陀冬至(おらんだとうじ)」の宴会の様子が再現されています。
冬至という名前ですが、実際にはクリスマスを祝う行事だったらしい。当時の日本ではキリスト教がアウトだったので、宗教色のない冬至に偽装していたのか~。
あと、細かいことですが、畳に絨毯を敷いて机と椅子を置いているのが気になりました。西洋の家具を使うなら最初から板の間にしたほうがよかった気が。何か事情があったのでしょうか。
料理がおいしそう。宴会なので特別豪華なメニューなのかな?
窓際に移動。塀の向こうを路面電車が走っていますが、このあたり一帯は埋め立て地です。つまりかつては海だったということ。当時の風景を想像するとロマンが感じられます。
出島には見るものがたくさんありました。この記事で紹介しているのはほんの一部です。急いで回る場合でも最低1時間は確保しておくことをおすすめします。
それぞれの建物に入り展示を見て回るだけでも、2~3時間は経過します。展示の解説文をじっくり読みながら回ると、さらに長い時間楽しめそうです。
一番の見所はやはりカピタン部屋でしょうか。2階は広々としていて居心地が良く、ゆっくり滞在したくなります。
出島には復元街並みとしての価値だけでなく、博物館としての価値もあると思いました。当時の貿易、文化、政治、建築など幅広い分野の知識を得られるのが魅力です。
そうそう、2棟ですが明治期に作られた洋風建物もありますよ。写真は旧出島神学校。
出島の入場料は大人520円です。見どころが多く長時間滞在できるので、かなり割安だと思います。長崎に行くなら外せないスポットです。
(※入場料は2023年11月現在のもの)
グラバースカイロード
長崎駅前に戻り宿にチェックイン。日暮れまで休んでから夜景を見に出発します。
1系統「崇福寺」行きに乗り新地中華街で乗り換え。5系統「石橋」行きに終点まで乗ります。
石橋電停から少し歩くと、「グラバースカイロード」に到着。
これは斜面地に暮らす人々が急な階段を登らなくてもいいように整備されたエレベーターです。
斜めに移動する斜行エレベーターと一般的な垂直エレベーターがセットでグラバースカイロードと呼ばれています。
地元住民が優先ですが、観光客も無料で利用可能。ありがたく利用させていただきました。
日没後なので誰もおらず寂しい感じ。振り返ると斜面に立ち並ぶ住宅が見えます。坂の町ですねぇ。
乗り方は一般的なエレベーターと同じ。ボタンを押すと来ます。
斜行エレベーターの内部はこんな感じ↓
壁と屋根に覆われた空間を、人を乗せた箱が斜めに移動します。
斜行エレベータなので階のランプも斜めに並んでいます。
今回は、5階(最上階)まで乗りました。
ここからでも夜景が見られます。5階分なのでけっこう上がってますね。
少し歩いて垂直エレベータ、要するに普通のエレベーターに乗り換え。3階に行きます。
垂直エレベータ3階乗降場とグラバー園第2ゲートをつなぐ橋の上からも夜景がよく見えました。
ここまで来れば、夜間開園していない時期でも夜景を楽しむことができます。なお、周囲は住宅街なので住民の方の迷惑にならないよう静かに訪れましょう。
夜のグラバー園
620円を払って第2ゲートから入場。入場券はグラバーの肖像写真が入ったお札風デザインでカッコいい!
グラバー園のあるエリアは元々外国人居留地で、イギリス人商人であるグラバー、オルト、リンガーの住宅が建っていました。それらに加え、明治時代中期に建てられた長崎市内の洋館が移築されています。
今回は山の上にある第2ゲートから入ったので、坂を下りながら建物を見ていくことになります。なお、第1ゲートの入り口は大浦天主堂の近くにあります。
グラバー園は傾斜地にあるので見晴らしが良く夜景を見るには最適。長崎港の向こうには有名な稲佐山があります。下の写真で3本の鉄塔が光っているところが山頂。
夜景スポットとしては稲佐山のほうが有名ですが、ここからもしっかり見えますよ。
園内では木々や壁がライトアップされていました。なんだか幻想的。
閉園時間が近かったので、ゆっくり建物を見て回ることはできませんでしたが、旧グラバー住宅には入りました。
ここは畳じゃなくて板張りの床ですね。出島と違い純洋風といった感じ。1863年に建築された日本では最古の洋風建築だそうです。
厨房はレンガの床でした。こういうスタイルもあるのね。
だいぶん下の方まで下りてきました。見える景色がちょっと変わります。街が近い感じ。
閉園ギリギリの時間に下の門から出ましたよ。夜景は楽しめたけど、建物がゆっくり見られなかったのでまた昼間に訪れたいです。
歩いて大浦天主堂電停へ。「石橋」行きの路面電車が折り返してくるのを待ちます。大浦海岸通~石橋は単線で行き違い設備もないので、1列車ずつしか入れないようです。
「蛍茶屋」行きになって戻ってきた電車に乗りますが、5系統は長崎駅前を通らないので乗り換えが必要。
ただ、複線化と赤迫方面への直通が検討されているらしく、将来は1本で長崎駅前に行けるようになるかもしれません。
長崎駅前に戻ってきました。
泊まった宿は電停すぐ近くのクオーレ長崎駅前。
綺麗なホテルでした。あと、ランドリーコーナーの乾燥機が高性能ですぐ乾いたのも嬉しかった。宿によってはパワーの弱い乾燥機が設置されていることもあり、数時間回しても生乾きだったりするのでね。
今回の記事はここまで。次回は原爆遺跡や平和公園に行った話です。