この記事は2023年春の旅行記part5です。
JR浦上駅から歩いて山王神社二の鳥居へ。被爆クスノキを見てから原爆資料館や平和公園を巡ります。その後、路面電車で中華街に向かいました。
前回:長崎観光:出島訪問&夜間開園中のグラバー園から夜景を見る
長崎駅でYC1系に乗る
疲れが溜まっていたのでゆっくり寝て昼前に宿を出ました。長崎駅からJRの在来線(長崎本線)に乗ります。
長崎駅の在来線ホームは新幹線より低くなっているんですね。斬新なデザインのYC1系が停まっていました。
ドアが閉まり、最新の通勤電車と同じくヒューンと高い音を奏でて走り出します。しかし、速度が上がってくるとブルルンとエンジンが始動します。
このYC1系は、電車ではなくハイブリッド式の気動車(ディーゼルカー)だからです。
西九州新幹線開業後、在来線特急の長崎乗り入れが廃止されました。それに伴い、経費節減のため電化設備の撤去が行われ、長崎~肥前浜の区間は通常の電車が走れなくなりました。
したがって現在は、架線から電気を取らず軽油を燃やして走る気動車のみの運行となっています。
ただしYC1系は少し特殊な車両です。従来の気動車はエンジンから発生した動力を車輪に伝えて走っていましたが、この車両はエンジンを発電機として利用し、その電気でモーターを回して走っています。
電車と気動車の中間的な存在で、いわゆる電気式気動車というやつ。
この方式を採用することで、変速機やプロペラシャフトなどコストの高い部品が不要になり、電車と同じ部品を流用できるなど、多くのメリットがあるようです。
さらに、YC1系はバッテリーを搭載しているので減速時に電気を貯めて燃費を向上させることが可能です。これはハイブリッドのクルマと同じ原理ですね。
以上のようにYC1系はデザインが面白いだけでなく優れた技術の塊なのです。
電化設備の撤去を路線の退化だと悲観的に捉える人がいるかもしれませんが、電車と同等の性能を持つ車両が導入されているため、利用者にはほぼデメリットがありません。
高性能な電気式気動車の登場により、速達性や利便性を損なうことなく電化設備を撤去できるようになりました。そのため、全国のローカル線では路線維持コストを下げるために電化設備の撤去が進んでいくと見られています。
長崎~浦上の車窓
駅を出ると巨大なガスタンクとJR貨物のコンテナが見えてきます。ただし貨物列車は長崎駅まで来ておらず、鍋島駅からトラックで運ばれているそうです。
長崎スタジアムシティが建設中。スケール感がすごい。
シティという名が示すように、スタジアムだけでなくホテル、ショッピングセンター、オフィスビルが立ち並ぶらしい。めちゃくちゃ大規模な開発ですね。
浦上駅は長崎駅の隣なのですぐ着きます。乗車時間は約3分。
駅前には「長崎駅址」の石碑があります。
現在は浦上駅ですが、昔はここが長崎駅だったことを示しています。明治期の私鉄、九州鉄道が建設した長崎線の終点駅だったそうです。
なお、浦上駅前には長崎電気軌道の電停もあります。長崎駅前から1, 3系統の路面電車で来ることも可能。その場合の乗車時間は約8分。
JRより乗車時間は長いですが本数は多い。時間帯によっては路面電車のほうが早く着くかもしれません。
山王神社へ
浦上駅から山王神社へ住宅街を歩きます。参道の階段の途中に半分になった鳥居が立っています。
これは長崎原爆遺跡の一つ、山王神社二の鳥居(一本柱鳥居)です。原爆投下によってあたり一帯は破壊し尽くされましたが、この鳥居は倒壊せず半分になるも立ち続けていたそうです。
階段の手前にモニュメントが設置されており、瓦礫の中に立つ鳥居の写真を見ることができます。
現在は住宅街が広がっており随分様子が変わっていますが、鳥居だけは当時のままの姿で立っているのが分かります。
時の流れが感じられるとともに、かつてこの長崎に原爆が投下されたのという事実が生々しく伝わってきました。
なお、後の時代に安全のため基礎や接合部の補強工事が行われたそうです。
鳥居の倒壊した半分も展示されています。
続いて山王神社の境内入口へ。こちらでは被爆クスノキが見られます。
現在は青々と葉を茂らせていますが、原爆の爆風と熱線の影響で一時は枯れ木同然になっていたそうです。
木の脇には階段と足場が設けられていて、幹にできた空洞とその中に入っている小石を見ることができます。木を治療する際に取り出された大きな石も展示されており、原爆の威力の恐ろしさが窺えます。
このクスノキからは惨劇にも負けない生命のたくましさが感じられました。瓦礫から復興した長崎の街とも重なります。
長崎原爆資料館
山王神社に参拝した後、平和公園の方向に歩きます。約10分、700m歩いて原爆資料館や平和会館があるエリアまでやってきました。爆心地公園の近くです。
原爆資料館に入館。原爆の構造や投下に至った経緯、被害の状況について、模型や実際に被爆した物品などを見ながら学べます。被爆者の負った傷を生々しく伝える展示もあります。
館内は思っていたより混んでいました。海外からの観光客が多かった印象。欧米人もかなりいました。
近年の調査によるとアメリカの若い世代では原爆投下に批判的な人が多くなっているようです。しかし全世代で見ると、戦争の早期終結のため必要だったと正当化する人がいまだに一定数いるとのこと。
原爆肯定派の人が来ているかどうかはわかりませんが、もし展示を見たらどう感じるのか気になりました。
また、日本人の多くは核兵器がいけないものだという認識を持っていますが、同時に安全保障において核保有国アメリカの抑止力、いわゆる「核の傘」に頼っているという矛盾した現実があります。
核兵器の削減は進めるべきだと思いますが、核廃絶が達成されれば自動的に平和が訪れるわけではありません。
通常兵器による戦争が簡単に始められるようになってしまっては意味がないので、どうにかして戦争が起こらない仕組みを作る必要があります。ただ、それは簡単なことではないとも思います。
核兵器に関する問題は非常に複雑です。簡単に答えは出ないし、自分に何ができるのかもわからない。悩んでしまいました。
浦上天主堂
原爆資料館を出て約500m歩き浦上天主堂へ。
浦上天主堂は、江戸期の弾圧を耐えた浦上のキリスト教徒たちによって計画されました。元々の建物は1914年に完成。塔の部分が1925年に完成しましたが原爆によって崩壊。
広島の原爆ドームのように被爆後の姿のままで残す案もあったものの、アメリカへの配慮や信徒の要望によって取り壊しが決定。鉄筋コンクリートで再建されました。
中に入って手前から見学ができますが、信仰の場なので静粛に。なお、中の撮影は禁止でした。
また、近くには当時の建物の遺構や原爆遺物展示室があります。
平和公園
平和公園の平和祈念像前にやってきました。
南側の公園正面に回ってエスカレーターから入りましたが、後で調べてみると北側や東西にも入り口があることが判明。
浦上天主堂から平和祈念像へ行く場合、北から入ったほうが近かったようです。知らずに遠回りして約1km歩きました。
この公園は小高い丘の上に広がっており、近くに高い建物もないため、なんとも言えない開放感があります。公園そのものが空とつながっているような感覚。
この日は快晴で濃い青色の空が広がっていました。見上げているまさにこの空で原爆が炸裂したことを考えると恐ろしくなります。
原爆資料館の展示を見た後だったので当時の状況が生々しく想像されます。二度と惨劇が繰り返されないことを祈るばかりです。
路面電車に乗る
平和公園の南側出入口の近くに「平和記念公園」電停がありますが、今回は利用しませんでした。爆心地公園を見てから隣の「原爆資料館」電停に行きました。
停まっている車両をよく見ると独特なサスペンションが付いています。マルチリーフスプリングというやつかな? 美しい。機能美。
崇福寺行がやってきました。これに乗って新地中華街まで行きます。
乗車時間は約20分。車内は結構混雑していました。路面電車なのでJRより車両が小さく、乗客が多いとギュウギュウ詰めになります。
立っている人は他の乗客が乗り降りする度に通り道を作らなければなりません。ちょっと大変。
新地中華街でお昼
新地中華街電停から少し歩くと中華街に着きます。
ここで言う「新地」とは新しくできた土地、つまり埋立地という意味です。出島の周囲と同じく、この辺りも昔は海だったんですね。一帯がすっかり陸地と化しているので、言われなければ海だったことがわかりません。
北門の手前は広場になっていて観光客や地元の人で賑わっていました。
どこでお昼を食べようかなと中華料理店を見て回ります。
この中華街には高級な店が多い印象でした。本格的な中華が食べられる分、値段はお高め。観光地化されているからなのか、町中華のような庶民的な店は少ないようです。
比較的安価な店を探してちゃんぽんの単品だけを頼みました。1000円以内に収めようと思うとあまり選択肢がないですね。
角煮まんじゅうは通りに面したテイクアウトの店で購入。1個350円。
テイクアウトだと手頃な値段で食べられる角煮まんですが、本格的な中華料理店では倍近い値段が付けられています。2個で1300円~という店が多い印象。
サイズや使っている肉に違いがあると思うので割高だとは言い切れませんが、お金に余裕のない筆者にとっては手が出せない高級料理です。
個人的には外で売っている安いのでも十分美味しかったし満足ですよ。今回は節約しつつも長崎名物を食べられたので良かった。
今回の長崎観光はこれで終わりです。
振り返り&次回の計画
長崎は見どころが多い街ですね。2日間観光してもまだまだ行きたい場所が残っています。
大浦天主堂、オランダ坂、唐人屋敷、孔子廟、昼のグラバー園や、近くまで行ったのにスルーしてしまった眼鏡橋にも次は行きたいです。
今回は長崎市中心部のみの観光でしたが、船に乗れば軍艦島に行けますし、足を伸ばして潜伏キリシタン関連遺産を回るのも良さそうですね。
ただ、筆者の住んでいる中部地方某所からだと長崎は遠く、費用や所要時間の関係で結構移動のハードルが高いです。
今回は18きっぷで九州まで行きましたが、もう一度同じことをする気力はないので、次は鉄道とLCCの組み合わせで行こうと思います。
鉄道で空港まで移動し、関空発のピーチか神戸発のスカイマークで長崎まで飛ぶのが価格と所要時間のバランスが良さそう。
18きっぷシーズンなら、家から関西圏の空港最寄り駅と、新大村駅から長崎駅をJRの普通列車で移動すればケチれます。
一般的な空港利用者は長崎空港~長崎市内の連絡バスを使いますが、18きっぷで節約する場合には長崎空港~新大村駅(植松東バス停)の区間だけ乗ります。
なお、新大村で止まるのは「昭和町・浦上経由」のバスです。「新地・長崎駅経由」に乗るとダイレクトに長崎市内へ連れて行かれるので注意。
さらに徹底的にケチるなら空港から最寄りのJR駅まで歩くという方法もありますね。
関空は空港線が直結しているので18きっぷのみでアクセス可能ですが、神戸空港はポートライナーに追加課金が必要。
しかし、JR三ノ宮駅から神戸空港まで約2時間歩けば無料です。長崎空港から新大村駅はもっと近く、1時間10分程度で歩けます。
どちらも海上の橋を渡るので、天気が良ければ素晴らしい景色を楽しめるでしょう。荷物が少なくて時間と体力に余裕がある場合限定ですけどね。
あと、将来、西九州新幹線の佐賀県区間が開業すれば、新大阪から長崎は乗換なし3時間半程度でつながるようです。何年後になるかわからないけど、完成したら乗りに行きたい。
今回はここまで。次回は長崎を発ち船で熊本に渡った話です。