日没後の観光:東京駅丸の内駅舎・神田明神・秋葉原 – 24年1月の東京旅行5

アイキャッチ画像(神田明神の門) 国内旅行

この記事は、2024年1月の東京旅行part5です。「東京メトロ24時間券」を使い、駅から街歩きをしてきました。今回は目黒寄生虫館から歩いて中目黒駅に到着したところから始まります。

中目黒駅入口

前回はこちら↓

メトロと街歩きで訪ねる隠れた名所:北綾瀬駅と目黒寄生虫館 - 24年1月の東京旅行4
「東京メトロ24時間券」を使い、駅から街歩きをしつつ神社や博物館を訪れました。今回歩いたのは北綾瀬駅~綾瀬駅、千駄木駅~根津神社~東大前駅、目黒駅~目黒寄生虫館~中目黒駅です。 なお、この記事は2024年1月の東京旅行part4。前回はこち...

東京駅丸の内駅前広場

次の目的地は東京駅の丸の内側です。

実は筆者は復元後の丸の内駅舎をじっくり見たことがありませんでした。東京駅を電車で通過したことは何度もあるのですが、下車して丸ノ内側に出たことは数回しかありません。しかもそのころは広場が未整備だったと思います。

中目黒駅から日比谷線に乗り、霞が関で丸ノ内線に乗り換えます。

中目黒から乗った日比谷線の車内

丸の内線の東京駅に到着し地上に出ると周囲は高層ビルだらけ。首都東京の玄関口だけあって、ビルのデザインも洗練されてますねぇ。

東京駅丸ノ内側のビル

東京駅丸ノ内側のビル

目的地の丸の内駅舎は目の前です。歴史を感じさせる駅舎と奥の近未来的な高層ビルの対比が絵になりますね。

離れて見る東京駅丸の内駅舎

日が沈みライトアップが始まっていました。この瞬間を狙って訪れたわけではないのですが、いい時間帯でした。

東京駅丸の内駅前広場と駅舎

この駅舎は日本近代建築の父と呼ばれる辰野金吾による設計。明治41年(1908年)に着工し、大正3年(1914年)に完成しました。

その後、昭和20年(1945年)には空襲により屋根などが焼失。戦後の昭和22年(1947年)に修復されますが、元通りになったわけではなく、元々3階建てだった駅舎が2階建てに姿を変えました。

また、南北のドームだった部分が普通の三角屋根になったのも大きな外観上の変更でした。21世紀になるまでその姿だったので、2階建てドームなしの駅舎を見慣れている人も多いと思います。

建築当時の姿への復元は平成19年(2007年)から始まり、平成24年(2012年)に完成しました。駅前広場はその後の平成29年(2017年)に完成しています。

近くで見学して印象に残ったのは、赤レンガに汚れが見られず非常にきれいな状態だった点です。2階以下は創建当時のレンガを使っていると思うのですけど、最近建った建物みたいに明るい色をしていました。復元の際に洗浄したのでしょうかね。

東京駅丸の内駅舎に近寄った画像

ドームの内部はレリーフが復元され見ごたえがあるようですが、夕方のラッシュ時間帯で混雑していて落ち着いて見られそうになかったので撤収。再び丸ノ内線に乗り込み次の目的地へ向かいます。

丸ノ内線東京駅の入口の階段

神田明神参拝

東京駅から丸ノ内線に5分くらい乗り、御茶ノ水駅で下車しました。ちなみに丸ノ内線の列車は、この駅の東京寄りで神田川を渡るとき、一瞬地上に出ます。

(※下の画像は1年前の2023年1月撮影)

御茶ノ水駅付近の丸ノ内線が見えるスポット

聖橋付近は、丸ノ内線を中央・総武線と絡めて撮影できるスポットとして知られていますね。

さて、御茶ノ水駅を出て北東へ5分歩き神田明神(神田神社)に到着しました。

初詣シーズンの神田明神の鳥居

神田明神は立地が秋葉原に近く、その氏神様でもあることから、アニメとのコラボを行っていることでも有名ですが、参拝するのは初でした。秋葉原には何度も来ているのですけどね。

入口の随神門は朱色をベースに金色や緑色が使われていて結構派手な印象。一口に神社と言っても、それぞれに個性があって雰囲気も違いますね。

神田明神の門

門をくぐって境内に入ります。

社殿は昭和9年(1934年)に完成した鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の建物だそうです。

神田明神の社殿

一見木造のようですが、意外にも近代的な工法で作られた建物だったのですね。後で調べるまで気が付きませんでした。昭和20年(1945年)の東京大空襲も耐え抜いたそうです。

神田明神の御祭神は、

  • 大己貴命(オオナムチノミコト、だいこくさま):縁結びの神
  • 少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびすさま):商売繁昌の神
  • 平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかどさま):除災厄除の神

の3柱。

神田明神の歴史は古く、社伝によると天平2年(730年)に現在の大手町・将門塚周辺に創建されました。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発したため供養が行われ、延慶2年(1309年)に将門様を奉祀したそうです。

さらに、徳川家康が神田明神で戦勝祈願をし関ヶ原の戦いに勝利したことから、江戸時代に入ると幕府の尊崇を受け、元和2年(1616年)に現在の場所に遷座されました。

大正12年(1923年)の関東大震災で社殿が焼失するも、昭和9年(1934年)に再建。第二次世界大戦の空襲にも耐え、戦後も着実に復興を遂げ、今日に至っているとのこと。

かなり長い歴史がある神社なんですね。祟りで有名な平将門が除災厄除の神様として祀られているというのも興味深い。祟りを恐れるのではなくポジティブな力として捉え、力を貸していただこうということなのでしょうか? 家康が戦勝祈願したというのも象徴的です。

あと、個人的に印象に残ったのは境内にある「さざれ石」。国歌に詠われている石ですね。

神田明神のさざれ石

隣の石碑によれば、さざれ石が奉納・設置されたのは平成24年(2012年)11月。昔からあるのかと思いきや、意外と最近でした。産地は伊吹山山麓とのこと。滋賀と岐阜の県境にまたがる大きな山です。東海道本線や新幹線の車窓からも見えます。

ちなみに伊吹山産のさざれ石は岐阜から各地に贈られているらしい。確かに他の神社でも見かけることがありますね。

明神男坂を通って秋葉原へ

神田明神は建物が色鮮やかで、明るく賑やかな雰囲気の神社でした。参拝を終えると晴れ晴れとした気分になりましたよ。

次に向かうのは秋葉原。神田明神の東の端、さざれ石が置かれていた場所の近くに明神男坂があります。この坂を下れば秋葉原電気街の方へ行けます。

明神男坂の看板と風景

明神男坂は高台で見晴らしが良かったため、江戸時代の錦絵にも描かれているそうです。

明神男の階段

神田明神は本郷台地の東端部に位置しており、秋葉原エリアとはかなりの高低差があります。この坂で足をすべらせたらかなり危険な感じですね。

実際に歩いてみると脳内の地図が補完され、神田明神と秋葉原の位置関係がよくわかりました。それにしても東京ってかなり凸凹してるんですよね。その結果急な坂が多い。

夕食は秋葉原でケバブ丼をいただきました。おいしい。

ケバブ丼

秋葉原駅周辺は夜でも賑わっていました。

夜の秋葉原高架下

アニメグッズのショップなどを回ってから、前日と同じく日比谷線で南千住の宿へ。翌日は高速バスで東京を後にします。

タイトルとURLをコピーしました